pinterest

2014年6月5日木曜日

ブラジル音楽とポルトガル語の影響

ブラジルの音楽は面白い。激しいリズムのサンバと、その一方で複雑で美しいハーモニーをもつボサノバ、その両面性が組み合わさって、躍動感がありなおかつ哀愁ただよう、実にセンスの良い音楽が多いと感じる。
ブラジルはポルトガル語圏だが、その旧宗主国であるポルトガルにはファドという物悲しいトーンを持った大衆音楽がある。その影響が言語と一緒にポルトガル語圏全体に流れていき、それとアフリカ的な躍動感が結びついてブラジルの独特の音楽が生まれたのであろうというのは誰でも考え付くことかもしれない。哀愁のような感性に訴えるものは、影響力が強いのだ。

中村とうようの著書「ポピュラー音楽の世紀」は、いわゆる現代世界の大衆音楽、商業音楽の歴史を概観として示してくれると同時に、世界の近代史というものを特異な側面から見せてくれる興味深い本であるが、その中でもポルトガル語の影響力について、次のように書かれている。


「この時期のポルトガルのやり方は、あちこちの電柱にオシッコを引っかけ、縄張りを守る力もないくせにやたらと匂いつけをして回る野良犬そっくりだった。とにかく彼らには土地を支配して農園を開くといった発想はなかったし、拠点を守り続けるだけの国力も人手も欠いていたから、そのイニシャティヴは一世紀たらずのあいだしか続かなかった。
 でも、その支配の期間が短かったにしては、ポルトガルが残した文化的インパクトはあとあとまで消えずに残った。マカオやマラッカでは現在までファドなどのポルトガル音楽が聞けるということだし、ゴアにはコンカニと呼ばれるポルトガル系の混血文化が生き続けた」


歴史というものを考えてみるとき、この世界で、もしくは宇宙で起こっていることは一つである(一つではないという多元宇宙的な考え方もあるが、ここでは考えない)としても、その起こっている物事の流れをどう捉えていくのか、その捉え方はいくつものレイヤー(層)になっていると考えられるのではないか。逆にいうと、この世界で起こることはあまりにも複雑であって、その全体をどのようにとらえようとしても、ひとくくりにはできないはずである。
一般的に定説として認識される歴史観もあれば(それすらも様々だが)、一般庶民の知恵では考えも及ばないところで、世界の支配層が進めているであろう領域もあるのだろう。その一方で、この世界に生きる人々の実生活や生き様により直結する流れというものもある。人々の感性に直結する大衆音楽も、その流れを形成しているといえるのではないか。政治的には無力かもしれないその力は、それでも確実に存在し続けるはずだ。
「ポピュラー音楽の世紀」においては、一般大衆という聴衆の中から発生した音楽の中でも、カリブ海から発生した音楽の流れがワールドミュージックの発生に大きく作用していく過程、そしてそこにからむアメリカ合衆国の音楽ビジネスとの関係性等が非常に興味深い。そのあたりの流れが世界の近代史を捉える上でも、特異かもしれないが重要な側面を見せてくれる。そしてその中でポルトガルの文化的影響力は決して軽視できない位置を占めているのだ。

ワールドカップの反対デモにも表れているように、貧富の格差等さまざまな矛盾を抱えたブラジルだが、サッカーやモータースポーツのF-1等で数多くの天才プレーヤーを生み、心をとろかすような素晴らしい感性の音楽にあふれたこの魅力的な国が将来にわたって発展していくことを祈りたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿