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2014年5月9日金曜日

ポリグロット(多言語話者)と脳

生活のため、あるいは仕事のためにポリグロットになる必要がある環境にある場合は別として、趣味として多言語学習をするのに、意味などはなくても良いのかもしれないが、あえて言うならば、脳ミソの普段使わない部分を使うには、多言語学習は有効なのではないか。言語によって、脳の使い方は違うのではないか。

西村喜久氏は、英語は吐気で一気にしゃべる言語だということを書いていたのを読んだことがある。確かにリズムが英語らしくなる。また、一気にしゃべるためにまず息を溜める。それが英語をしゃべる時の思考の仕方にも影響を与えるという。

日本人のカーデザイナー、奥山清行氏は、イタリヤの名門カロッツェリア、ピニンファリーナ社でも活躍したことで有名だが、イタリヤではもちろんイタリヤ語で、またそれ以前にはアメリカでも、英語を使って仕事をした経験から、「フェラーリと鉄瓶」の中でこのように述べている。

「ふだん日本語だけで仕事をしている人にはなかなか気づくチャンスのないことだと思いますが、人間は話している言語によって考え方が変わります。(中略)日本語で話している時の自分と、英語を話している自分、ドイツ語を話している自分、そしてイタリア語を話している自分では、考え方や性格が明らかに違います。」

さて、脳の中の言語中枢は左脳の一部にあるというのが今のところの定説になっていると思われるが、こちらのページによると、右半球も関与している可能性が示唆されているようだ。また、その研究に寄らずとも、私たち日本人が表意文字である漢字を使う時には、イメージとして認識する右脳が介在することは明らかだろう。

言語は意思の伝達のための道具であることは確かだが、その道具によって、本体である人間性に少なくともある程度の影響は与えるのではないか。コミュニケーションのツールであるのと同時に思考のツールでもあるのだから。そういう面では、人間の可能性を広げるために多言語主義というのは必要なのではないかと思う。
一個人でも多言語を習得することは、使う言語によって違う発想が出てくる可能性があるのなら、能力や人格の可能性を広げる上で有効だと思う。

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