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2014年1月6日月曜日

犠牲心について

昨年の暮れに、南アフリカのネルソンマンデラ氏が亡くなった。人種隔離政策アパルトヘイトと戦い、27年も刑務所に収監されたが、ついに黒人初の大統領となった人物だ。
ネルソンマンデラ氏といえば、2011年に南アフリカで開催されたFIFAワールドカップ開会式での悲劇が忘れられない。ワールドカップ開催をおそらく誰よりも喜んでいたはずのマンデラ氏の孫娘が、開会式前日に交通事故で亡くなってしまい、マンデラ氏は出席を断念した。

マンデラ氏は、次のような言葉を残している。


「私は白人による支配に反対し、そして黒人による支配にも反対してきました。全ての人々が協調して平等な機会の下で共に暮らしていく、民主的で自由な社会という理想を大切にしています。この理想に人生を捧げて実現を目指すことができれば最も望ましいですが、必要であれば、この理想のために死をもいといません」

「成し遂げたことで私を判断するのではなく、失敗して再び立ち上がった回数で判断してほしい」

人種隔離政策との戦いというマンデラ氏の功績は、日本からは遠い海の向こうの話のようにも思えるかもしれないが、かつて、人種差別撤廃を世界に主張した日本人がいた。
新渡戸稲造は、「太平洋のかけ橋」になりたいという志をもって、名著「武士道」を英語で書きあげた人物として有名だが、当時設立された国際連盟の事務次長に選ばれ、「国際連盟の輝く星」とまで評された。

その国際連盟において日本は、国際連盟の規約に人種的差別撤廃提案を提案した。人種差別撤廃を明確に出張した国は日本が世界で最初だったという。
過半数の賛成を得たが、全会一致が必要、というアメリカの主張で退けられた。

日本はかつて、武士が統治していた。その体制が変わり、武士階級がなくなったのは明治維新による。実際のところ、それまでの江戸幕府を倒したのは、主に武士階級の力によっていたはずなのだが、維新が起こった途端に、武士はその身分を失った。
一概に武士の世が良かった、ということは言えないが、武士階級の心構えとして、まさに新渡戸稲造の「武士道」に書かれている通り、モノかねよりも、名誉を大切にするという価値観はあった。幕末期に欧米文明国が鎖国していた日本に接触をはじめた。そこから利益を求めようとした。そうすると、当時の日本の支配階級であった武士の価値観「武士道」がじゃまになった。モノかねの誘惑に折れない。恫喝をもって支配しようとすれば名誉を傷つけられたと生命を顧みず日本刀を抜いてかかってくる。当時の武士がすべてそうだったとは思わないが、少なくともそういった道徳観を持っていた。武士は食わねど高楊枝という言葉もある(武士は貧しくて食事ができなくても、食べたばかりかのようにゆうゆうと楊枝を使う。武士はたとえ貧しくとも、気位を高く持つということ)
自分は貧しくても、使用人にはお金を与えて見苦しくないような身なりをさせた、という話もある。

奥山清行という日本人デザイナーがいる。カーデザイナーとして米欧の多くの国で活躍し、カーデザインの本場イタリアで、フェラーリ等のデザインを手がけるデザイン会社ピニンファリーナでチーフデザイナーまで務めた人だが、こういうことを言っている。
・日本人のアイディンティティについて、あるいは日本人は何なのかと考えていくと、
次の2つがある。

1.ひとつは「想像力」。「思いやり」と言い換えてもよい。
日本人というのは想像力に長けた民族だといえる。

2.もうひとつは「犠牲心」だ。
私は「自己犠牲」と呼んでいるが、自分をある程度犠牲にしてでも全体を生かそうとする気持ちのことである。

・平時のビジネスの場面で、全体のために自分を犠牲にする気持ちを持てるのは日本人だけなのだ。
中国や韓国をはじめとするアジア諸国にもまず見られないし、もちろんアメリカやイタリアにはまったくない。

大きな目的、崇高な理想のためには自分が損をしても、あるいは犠牲になることも厭わないという精神、合理性よりも名誉を重んじるということは、不滅の魂を重んじるということだ。
実利を得るための合理性ばかりが重視される風潮となった今、「犠牲心」というものは、日本人として誇りと共に今一度思い起こしてもいい価値観なのではないだろうか。


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