この間書いたように有史以前のポリネシアには航海術があったが、日本書紀の記述によると、伊豆は縄文時代のころから造船の地だったようだ。
伊豆市天城湯ヶ島町の狩野川沿いに軽野神社という神社がある。
住所:静岡県伊豆市天城湯ヶ島町松ヶ瀬79
御祭神:事代主命
延喜式神名帳:軽野神社 伊豆国 田方郡鎮座
入り口はちょっと分かりにくいがこんな感じ(ストリートビュー)
消防団の倉庫の脇の道を入っていくと集会所があり、その向かい側が境内となっている。
由緒には、「伊豆国に造船を科した際の造船所とも、舟財を樹る山口祭斎行の場所とも云われる。」と書かれている。
ここは伊豆半島の真ん中あたり、内陸部のこんなところで造船?と思ってしまうが、実は縄文時代には、縄文海進といって海水面が現在より2~3メートル高い時期があった。伊豆半島の付け根の沼津市、三島市の南半分から伊豆の国市あたりまでの田方平野とよばれる平野部は海だった。そうするとこのあたりも河口からそれほど離れてはいなかったことになる。
境内から狩野川を見下ろすことができる。
川筋などは時代を経るにつれて移動するものだが、現状より2~3メートル水面が高いとすると、かなり広い川だったのではないかと想像できる。この狩野川をもう少し下った伊豆の国市の伊豆長岡があるあたりは入り江になっていたであろうことを考えると、海を航行するための船がここで造られていたとしても決して荒唐無稽な話ではない。軽野、狩野といった地名は、伊豆半島以外でも、船材切り出しに適当な場所である場合が多いという。
少しだけ上流の柿木橋あたりはこんな感じ。
さらに上流に向かうと船原川という支流がある。この川にそって船原温泉という温泉場もあるが、そのあたりは当時船材に適した楠の木が多く、船を造るための木材を切り出したところなのでないかとも考えられるという。
日本語とポリネシア語との関連も研究されている。
リンク:ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源
この伊豆国で造られたであろう船「枯野」あるいは「軽野」についても述べられている。
当時から遠いポリネシアまで船での行き来があったのだとすれば面白い。
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