pinterest

2017年9月12日火曜日

賢い人はアイディアを語り、普通の人はモノについて語り、愚かな人は他の人について語る。

賢い人はアイディアを語り、普通の人はモノについて語り、愚かな人は他の人について語る。

これはユダヤの格言の一つだが、非常に示唆に満ちた言葉だと思う。アイディア、モノ、他人のうち、一番変えられないものは他人だ。だから他人について語っても愚痴にしかならない。モノはお金があれば買えるだろう。アイディアは考えればいくらでも発展させることができる。

「理系脳で考える(著者:成毛 眞)」を読んで、この冒頭の格言を思い出した。

理系脳、文系脳というくくり方が最適なのかどうかは分からないが、いかに創造的であるか、ということの方法論としては理解できる。私はどちらかというと文系の経歴だが、「理系的」に考えることは今の自分にとって重要だと感じる。

この本でいう「理系脳」になるための条件は、目次にある以下の4つ

1.新しいものに興味がある。変化が好き
2.刹那主義で未来志向
3.コミットの範囲が明確
4.コミュニケーションが合理的

もっとざっくりいえば、過去にこだわらず、前向きにできることを考え、実行していくというリアリズム的な生き方になるだろうか。

論語の中の孔子の有名な言葉に、「四十にして惑わず」という言葉があるが、この「惑わず」の本当の意味は、「迷わない」ではなくて、「或わず」であり、「自分を限定してはいけない」という意味なのだという説がある。これは非常に魅力的な解釈だ。(身体感覚で「論語」を読みなおす 著者:安田登 より)

歳をとれば(あるいは取らなくても、だが)、人の脳は過去にとらわれ、柔軟な発想ができなくなる。だいたい40代にもなれば、「自分はこんなもんだ」という固定観念ができあがってしまう。そういった自己限定を超えられるかどうか、新しいアイディアを追い続けることができるかどうか、ということがその後の人生にとって重要なカギになる。そのことを、孔子様はとっくの昔に見通していたということになるのだろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿