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2014年12月8日月曜日

「行を終えて、行を捨てよ」

走り始めてから去年1年間はほとんど風邪をひかなかったのに、ここのところ風邪で3日間ランニングを休んだ。体調はまったくすっきりしない。これ以上休むとおかしくなりそうだった。風邪ぐらいで休むからいけないんだ、と思い、今朝は5キロ。風邪はあまり変化がないが、体調としては少しまともになった気がする。

先週のSWITCHクロスインタビュー達人達、僧侶・塩沼亮潤と探検家・角幡唯介の対談を思い起こす。
修業と冒険、どちらも生命の危険と極限状態の苦しみを伴う。
僧侶・塩沼亮潤の成し遂げた修業は、往復48キロの険しい山を一日で登り降り、それを千日間続ける「千日回峰行」という修業。成し遂げたのは大峯山1300年の歴史の中で2人目という。
未踏地帯を単独踏破する探検家・角幡唯介は、冒険で後悔したことはないが、「楽しい」と思ったこともないという。自然は死が満ちている世界。そこに飛び込むことで生の形が見えてくる、というようなことを言っていた。

そんな修業や冒険とは全く比ぶべくもない私のランニング行は、せいぜい10キロ、気持よく走れるペースが基本。それでも苦しいと感じることもあるし、今日は走りたくないと思うこともしばしば。苦しさと楽しさのバランスは、どちらかというと苦しいほうに振れていて、その苦しみを乗り越えると、何か新しい局面に来た感覚は確かにある。それがやりがいにつながっているのは確かだと思う。このバランスが楽しいほうに振れてしまうと、進歩している実感はない。

そんなヘタレ行とは比ぶべくもない塩沼氏の「千日回峰行」で、もっとも苦しかった時の話。高熱と下痢が何日も続き、ものも食べられず、市販のどの薬も効かず、極限状態で顔面から倒れこんだ。しかしそこで力がみなぎり、全身から湯気が出たという。体というものはすごい。

そんな話をきくと、そんなすごいポテンシャルを秘めた身体をこの世に生きる道具として与えられながら、何と情けない使い方しかしてこなかったな、と思う。

「行を終えて行を捨てよ」、行で得たことを表現していくことが大事、と塩沼氏はいう。
走り続けることで、少しでも「優しく」なれたとしたら、それで儲けものかもしれないな、と思った。

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