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2016年6月11日土曜日

「創造」しなければ意味がない?

昔から、「創造」しなければ意味がない、と思い続けながら、一方で「創造」ということに対する疑いが頭から離れない。

例えば音楽でいえば、何かメロディを思いついたとしても、世界中でメロディを創る人は数えきれないほどいて、数えきれないほどのメロディがつくられてきたはずなんだから、自分が思いついたメロディが今まで誰も思いついていないメロディだという確率のほうがむしろ低いはずだ。あるいは、どんなインスピレーションが浮かんできたとしても、それは自分が今まで受け取ってきたものからの連想であったり、集大成であったりするのだから、オリジナルといえるのかどうかあやしいものだ、という考え方もできる。

しかし、今まで例えば音楽を聴いて好きだと思っても、それは究極は「そのうち創るべき音楽」の参考になるから楽しむことができたような気がする。本当に純粋にその音楽が好きだったりしたのか、というと大いに疑問が残る。
音楽ならまだいいが、小説や映画の世界に閉じ込められるのは好きではない。あくまで「参考になる」限りにおいて、ある程度は楽しめる。

こうして、何も「創造」せずじまいで時間が過ぎていくのかもしれない。それはそれで面白い。

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