いよいよ来年、ホンダがF-1グランプリに復帰する。第4期目となるホンダのF-1へのチャレンジが成功するかどうかは、日本がグローバル社会でこれからいかに成功できるのか、を象徴することになるような気がする。
前回の第3期のチャレンジ(2000年~2008年)が失敗に終わったのは、技術云々より、F-1の政治やビジネスの面で、日本社会の特質がネガティブに働いてしまった結果のようである。少し前のニュースだが、ホンダの第3期F-1を支えたドライバー、ジャック・ビルヌーヴがインタビューに答えている。
「当時の僕の経験から言えば、ホンダには優秀なエンジニアが大勢いるのに、その力が十分に生かされていない気がする。・・・どうやら、ホンダの社内には『ネガティブなことを上司に報告できない』という不思議な文化があるみたいで、そのために情報が歪(ゆが)んだり、正しく伝達されなかったりして・・・」
第2期(1983年~1992年)のホンダF-1が大成功したのは、ちょうどターボという制御が非常に難しいメカニズムが主流となっていった時期に、そこにコンピュータ制御を大きなスケールで取り入れて乗りこんでいくという明らかな技術的アドバンテージがあった(当然リスクもあったわけだが)ことと、そのホンダの姿勢がパートナーを組んだマクラーレンチームを率いたロン・デニスの考えと、さらに天才ドライバー、アイルトン・セナの性質と奇跡的にマッチした結果だった。
その第2期ホンダが撤退した後、F-1のフィールドで強さを発揮したのは、エイドリアン・ニューウィ―というデザイナーである。最高の空力デザインを可能にするためのマシン全体のパッケージングを追求する方法論で、最強のマシンを次から次へと生みだした。その時期、チャンピオンドライバー、チームは入れ替わったが、チャンピオンマシンをつくるのはほとんどエイドリアン・ニューウィ―だった。逆にいえば、彼が別のチームに移籍すると、そのチームがチャンピオンになるという感じだった。
ホンダの第3期の失敗も、その時代の中でのことであった。もちろん、だからといって来年からはじまる第4期のチャレンジも第3期同様の結果になるとはいえない。エイドリアン・ニューウィ―のつくるレッドブルは、レギュレーションが大きく変わった今年、PU(パワーユニット)に大きなアドバンテージを持ったメルセデスの前に、今年ついにチャンピオンを取れなかった。時代はまた変わったのかもしれない。
厳しく制限された燃料でいかにクルマを速く走らせるか、ハイブリッドの複雑で繊細な制御は、日本のエンジニアの得意とするところといえなくはないが、ヨーロッパのライバル達はすでにそれに取り組んでおり、1年遅れて参戦するホンダにとって、アドバンテージとなる要素はあまりないだろう。大きな技術的ブレークスルーは期待できないのではないか。だとすれば、小さなブレークスルーを積み重ねる根気と、政治的にいかに巧妙に立ちまわれるかが成否を分けるように思われる。それが、さまざまな事情でモノづくり日本の強みが風前の灯となっている今、日本人全体に求められていることであるように思うのだ。
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