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2014年12月4日木曜日

また、英語を読まなくちゃ・・・

司馬遼太郎が、先日読んだ「街道をゆく 嵯峨散歩、仙台・石巻」のなかで興味深いことを書かれている。吉田松陰の時代までの話し言葉としての日本語は、思想を語ることもできなければ、簡単な報告すら無理だった、というのだ。幕末の奔走家たちが集まって協議をし、議論をし、密談をするときは、止宿先が隣同士でも、書簡を往復させたという。

分からなくはない。日本語というのは、なんとなく分かった気になる言語で、例えば英語等とは対極とも思われるぐらい違うと感じる。そういうことを考えると、楽天が英語を社内公用語にしたのは、案外理にかなっている。効率よく、ビジネスライクに協議をし、議論をするためには、使い慣れた日本語の使い方を変えようとするよりは、英語というツールを使った方がはやい、ということはあるかもしれない。

ところで最近、必要に迫られて、しばらく読んでいなかった英語を読もうとしている。英語で本を読むことと、日本語で本を読むことは、脳の使うところが違うというか、かなり違う作業なのではないかというのが実感だ。必要があってしばらく英語を集中的に読んで、ようやく英語を読むという作業に脳が慣れてきた状態になると、日本語を読んでも頭に入らなくなってしまうのだ。

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