今日は伊豆の国市へ「狩野川能」を見に行った。いよいよ生まれて初めての能楽鑑賞である。
席は全席指定だったのだが、どこの席を取るか、本舞台と、演者が出てくる橋掛かりの両方がよく見えそうな位置がいい。いちおうナンバ走りランナーとしては、演者が出てくる時のすり足に興味がある。それで、舞台に向かって左寄りのなるべく前の空いている席を選んだ。本舞台を斜めの角度で見る位置だ。
できるだけ前の席にしたかったのは、音を聴きたかったから。能の楽器のうち、特に惹かれていたのが「大鼓(おおつづみ)」の音、スカーン、というアタックが強く、高周波の音が突き抜けていく感じがいい。ぜひとも生で聴きたいと思った。
ただ、この位置の席の欠点は、目付柱が邪魔になってしまうことだと、ある本に書いてあった。シテ(主役)が柱の陰になる位置に静止すると、その間の細かい動きが見えなくなる。ところが、会場に入ってみると、なんと目付柱が、床から50センチほどのところで切れていて、能舞台に普通ついている屋根がない。会場が能楽堂ではなく多目的のホールに仮設されたような舞台だからそういう構成になっているのだろう。
さっそく演能がはじまった。冒頭は「翁」の素謡(すうたい)。よく響く声と節回しが面白いが、謡の言葉は正直よく分からない。その後ノンストップで狂言「二人大名」。これはストーリーも分かりやすく面白い。客席からも笑いがあふれた。
休憩をはさんで、いよいよ能「羽衣」がはじまる。舞台の袖(といっていいのか)で楽器の音が流れはじめた。既に演目の一部なのだろうか、それとも音合わせだろうか?とにかく音が聴こえたとたんに、空気が変わったような気がした。
舞台に楽器と謡い手がそろい、楽器の演奏が始まる。大好きな大鼓(おおつづみ)の音、そして能管(笛)の高音がジーンとしみる。
つづいてワキの漁師が登場し、松に掛けられた天女の羽衣を見つける場面。見つけた羽衣を自分のものにしようとする漁師に、奥でシテ(主役)の天女が応える声が聴こえる(天女だが、シテは男性だから、男性の声)。舞台のそで(と言っていいのか)から、しかも面をつけた奥からの声なのに、なかなか良く通る声だ。
ついつい、舞いを見るよりも音に意識が向いてしまうのは、もともと音楽好き、特にリズム楽器好きだから仕方がないか。能楽の楽器は能管(笛)を含めてリズム楽器としての要素が強く、しかもリズム楽器でありながら西洋音楽などで聴きなれたリズムとは異質の拍が感じられて面白い。ストーリーとしては単純といえば単純。むしろ、ストーリー云々、意味云々よりも、音を含めて、何か存在自体から伝わってくる、言葉に表せないものがある。
話は進んで、漁師が天女に羽衣を返した瞬間、テンポと一緒に空気がまた変わる。
舞台の目付柱が切れていたのは本当に幸いだった。シテの動きが、自分の位置からみてちょうど柱の陰で留まる時間はかなり長かったのだ。
総じて、ストーリー的なものより言葉に表しがたい抽象的なものを感じてしまうのだが、この感じ方は正しいのだろうか。そのシンプルな構成も、抽象性を高めるために意図されたものと捉えるべきなのか、あるいは当時としては当たり前の表現形態であったのか、まだまだ勉強が必要だ。
0 件のコメント:
コメントを投稿