pinterest

2014年3月2日日曜日

SWITCHインタビュー達人達 野村萬斎と市川猿之助 伝統の「型」と創造性

今日のNHK・Eテレの「SWITCHインタビュー達人達」は、狂言師の野村萬斎と歌舞伎俳優の市川猿之助だった。どちらも古典芸能として、数百年もの間受け継がれてきた「型」というものがある。野村萬斎は、「600年とか450年の叡智に自分を合わせていくことで、自分の可能性を広げられる」という。そして、数百年受け継がれてきた伝統の型というものは、そう簡単には崩れないのではないか、ともいう。一方の市川猿之助は、「未来を語ることは不遜だろう」「歌舞伎の未来がどうなろうと知ったことじゃない」ということを言っていた。

しかし、両者とも、長年の訓練で体得してきた伝統の「型」を武器として、古典的な狂言、あるいは歌舞伎の枠を超えた活躍をみせているという点では共通している。「型」から入ることが一番早い、ということでもあるようだ(市川猿之助)。

伝統の「型」というものを考えるとき、私はどうしてもジャズのクリシェ、「型」というものを考えてしまう。根源的に即興芸術であるジャズも、クリシェと呼ばれる「型」がある。少なくともここ数十年近くの大抵のジャズミュージシャンは、先人が演奏してきたクリシェをまねするところから、演奏技術を磨いているといえる。このクリシェは大抵の場合、ジャズの演奏を退屈な、陳腐なものにしてしまう現実があるが、そのクリシェの延長上にふっとひらめくように名演奏が生まれることもあるから、クリシェを否定できないのだ。
ジャズが輝いていたのは、草創期の一瞬だけだということを、中村とうようは言っている。それは一面その通りだと思う。それは、ジャズの創始者を自称したジェリー・ロール・モートンとか、言わずと知れたチャーリー・パーカー、ひらめきに満ちたチャーリー・クリスチャン等が感じさせた即興芸術のぎらぎらした魅力はその後まったく途絶えてしまった。もちろん名演はその後も数限りなくあるが、まったく別物である。

狂言や歌舞伎も、もちろん今でも魅力的であり、その伝統的な枠を超えたところで活躍する野村萬斎や市川猿之助の作品は興味深い。だが一方で、もしかすると狂言や歌舞伎にも、ジャズの草創期の一瞬に匹敵するような、もっとぎらぎらした時代があったのかもしれない、とも考えてしまう。

狂言と歌舞伎は、演奏される楽器が異なっている。狂言の野村萬斎は「三味線が入ると動けなくなる」というし、一方の市川猿之助は「謡はお経のように聴こえる」という。要するにリズム感はかなり違うのだろう。だが、今回の2人の対談ではあまり語られなかったように思うが、体の使い方にはかなり共通したものがあるように見えた。両者とも、現代劇では立ち方ひとつにも苦労するというのは印象的だった。

0 件のコメント:

コメントを投稿