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2014年1月15日水曜日

日本語の国際的地位について思うこと その2

明治期に欧米文明が急速に流入してきたことは、いうまでもなく日本の歴史上における大変革であったわけだが、それに匹敵する、あるいはそれ以上の大変動がずっと過去にあった。弥生時代の漢字の渡来だ。外来の文字の流入に対して日本語の形を確立するための、その時の日本人の苦闘は「国民の歴史(西尾幹二)」の中で詳しく論じられている。漢字を使いながらも中国語の音声を無視し、語順を転倒し、漢字仮名混じり文の表記方法を確立した。

(以下引用)
古代の日本は何度も言いたいが、アジアの国でできないきわめて特異なことをやった、たったひとつの国である。それは中国の文字を日本語読みし、日本語そのものはまったく変えない。中国語として読むのではなくて日本語としてこれを読み、それでいながらしかもなお、内容豊かな中国古代の古典の世界や宗教や法律の読解をどこまでも維持する、この決然たる意志であった。
(引用おわり)

この古代の先人達の苦闘によって、日本は中国の文化的植民地になることを免れた。この時の危機と、幕末明治期に欧米文明が流入してきた時の危機を乗り越えたことは、日本語をむしろ豊かにし、その可能性を拡げたといえるかもしれない。一方、今日本が直面しているグローバル化は、日本人の、日本語の未来に何をもたらすことになるのだろうか。

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