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2013年9月24日火曜日

活字離れの行く末

昨日、ブックオフに行くと、書籍がオール20%引きだった。確か数週間前に行った時も、20%引きセールをやっていた。欲しい本が安く買えるのは確かにありがたい。しかし、事情はまったく知らないが、もしかすると、ブックオフですら値引きセールをしなければいけないほど本が売れないからなのではないか、と心配になった。
「活字離れ」ということは、もちろんずいぶん前から言われていることだが、これは日本の将来にとって、憂慮するべきことなのではないかというのが、私の感じているところだ。
日本は他の国に比べて、知的レベルの格差が小さい。他の国では、例えばアメリカ等に行っても感じることだが、大学等の高等教育を受けているエリート層は非常に知識を持っているが、それ以外の人達との差が大きい。日本では、エリート層のみならず国民が平均してそれなりに活字を読み、ある程度の知識を持っていることは、この国の強みだったはずだ。
これには、日本語というものの特性も関わっていると思う。日本語はひらがな・かたかなという表音文字と、漢字という表意文字が混在している。漢字というのは一目で直感的に意味を感じとることができる。日本語の文章を読むとき、その内容の難易度にももちろんよるが、文章を最初から丁寧になぞらなくても、一目である程度内容が分かる(もしくは分かる気がする)のだ。一方例えばヨーロッパ言語は表意文字が存在しないから、単語を一つ一つ読んでいかなければ理解できない。だからこそ速読法は欧米で発達したのであり、日本人にはあまり必要ないのだ。欧米圏のエリート達は、このヨーロッパ言語と格闘し、読解力と論理力を鍛え抜いているが、日本人は、あらゆる知識をおおまかにつかめてしまうから、論理力という基礎体力をそれほど鍛えていないことが多いのだと思う。
サッカーに例えて言えば、日本人は華麗なパスを決められるファンタジスタだが、いかに才能のあるファンタジスタであっても、しぶといディフェンダーに付き纏われれれば、華麗なパスを決める前に体力が尽きてしまう。だから国際的な交渉の場等で、日本人は根負けしてしまうことが多いのではないだろうか。
ただでさえ日本語の特性のために物事を直感的につかめてしまい、論理構成力の鍛錬が足りない日本人が、日本語の「活字」よりもさらに直感的に理解しやすいマンガに頼るようになってしまい、基礎体力をますます弱めてしまうと(別にマンガ自体が悪いわけではないが)、先進国のみならず、がむしゃらに勉強しまくっている新興国のエリート達にも太刀打ちできない状況に、もうすでになっているといえるのではないだろうか。

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