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2013年9月16日月曜日

「感動のスピーチ」と「復興の現実」

先日、2020年東京オリンピック決定について、ネガティブな見解を書いた。復興の厳しい現実については、例えばこの記事にまとめてある。

東京五輪 復興優先してこそ意義がある

福島第一原発では放射能汚染水漏れがとまらず、いまだに収束の見通しさえ立っていない。五輪投資が優先され、被災地復興が置き去りにされる懸念も拭えない。福島原発については、オリンピック開催決定した以上、国が責任を持って対応せざるを得なくなったということをポジティブに見る向きもあるが。

 一方、今回のオリンピック招致は、感動のプレゼンテーションが結実したものだった。

秘策!佐藤真海プレゼンが五輪引き寄せた


被災地出身のパラリンピアンが感情をこめて語った、右足膝下を切断したつらい過去と、それを救った「スポーツの力」、それがIOC委員の心に響いて、オリンピックを引き寄せた。 また、もうひとつこんな感動もあった。

五輪決定後に感動を呼んだトルコからの祝福

人は感動を求めている。感動が人を動かす。これはまぎれもない事実であり、感動を求める人の心は尊い。これなくして、どうしてより良い社会、より良い未来、より良い世界をつくれるだろうか。 「感動」と「現実」、この二つのギャップにどう折り合いをつければ良いのだろうか。

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