pinterest

2015年8月12日水曜日

来世ランニング?

トレイルランニングのトップランナー、キリアン・ジョルネのように、しなやかに山を駆け抜けられるようになることは、今世では難しそうなので、せめて来世に目指そうと思っているのだけれど、そのためにはこの世に再び生まれ変わってくる必要がある。
あの世に還った魂が、この世に何度も生まれ変わってくるという「輪廻転生」の考え方は、東洋思想では広く認められているが、西洋のキリスト教やユダヤ教では認められていない、と一般的には考えられている。
しかし、実はキリスト教や、ユダヤ教でもかつては輪廻転生を認めていたらしい。ブライアン・L・ワイス著「前世療法2」には、次のように書かれている(P51~)。


(引用ここから)

  ユダヤ教では、ギルガルという輪廻転生の基本的な考え方が、何千年も前からありました。この考え方はユダヤ教の柱の一つでした。 1800年から1850年の間に近代化をはかり、科学志向の西欧社会に受け入れられようとして、東ヨーロッパのユダヤ人たちはこの考え方を捨ててしまいました。しかし、輪廻転生の考え方は、この時まで、つまり約二世紀前までは、ユダヤ教の中心をなしていたのです。オーソドックス派とチャシディック派の人々の間では、輪廻転生の思想は今でも生きています。ユダヤの古典カバラは何千年も前に書かれていますが、あちこちで輪廻転生に触れています。ここ何世紀かでは最も偉大なユダヤ教の学者といわれているモシエ・カイム・ルザト師は、その著作 「神の道」 の中で、ギルガル(輪廻転生)について、次のように語っています。
  「一つの魂は異なった肉体に何回も転生することができる。このようにして、前世でなした過ちを矯正することができる。同様に、前世で達成できなかったことをなし遂げることもできる」

  キリスト教の歴史を調べてみると、紀元四世紀にコンスタンチヌス帝によってキリスト教がローマ帝国の国教となった時に、新約聖書にあった輪廻転生の記述が削除された、ということがわかりました。皇帝は輪廻転生の考え方は、帝国の安定にとって脅威となると考えたのです。もう一度、人生を送るチャンスがあると信じている市民は、一回だけ最後の審判があると信じている人に比べて、従順さに欠け、法も守ろうとしないと思ったからでした。
  さらに、紀元六世紀のコンスタンチノープルの宗教会議は、輪廻転生は異端であると公式に宣言しました。コンスタンチヌス帝と同様に、キリスト教会は輪廻転生の考え方は成長しつつある教会の力を弱め、土台を危くするのではないかと恐れました。

(引用ここまで)


宗教としての組織的、政治的な事情のために、人生観の根幹に関わるような思想が曲げられたのだとしたら、これは大変困ったことだ。




キリアン・ジョルネ - キリマンジャロの登山+下山所要時間の世界記録も持っているという。
5000メートルを超えた領域は映像を見ているとすごく魅力的だが、希薄な空気の中を実際に登るのは過酷に違いない。キリマンジャロは登山ツアーが組まれていて、素人でも登山可能とはいっても、何日もかけてゆっくり登るから可能なんであって、それを駆けのぼるというのは、やはり信じられない!

0 件のコメント:

コメントを投稿