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2015年5月16日土曜日

不条理の想いを抱きつつ、「眠り猫」のように眠る日本人?

江戸時代まで続いた武士の世は、明治維新によってあっという間に消滅してしまったはずなのだが、日本社会には今なお、江戸時代の影響が色濃く残っている。私達日本人は、今でも結局は、江戸時代とあんまり変わらない社会に生きているとも感じる。江戸時代ってどんな時代だったんだろう?とイメージするのはそれほど難しいことではないような気がする。

「中国化する日本」(與那覇 潤 著)は、購入してからかなり経つが、この本に書かれている視点は何度読んでも面白い。日本は歴史の中で、時として「中国化」しかかるのだが、抵抗勢力が起こって結局「江戸時代」に戻ってしまうのだという。

特に興味深い指摘の一つは、江戸時代の社会における「地位の一貫性の低さ」だ。同じ人物が何でも持っていることを日本社会は許さない。その結果、上から下まで、すべての階層において、それぞれの身分にしばられるのみならず、それぞれが不条理を感じている社会になっている。「天は二物を与えず」という言葉もあるように、それは現代でも日本の社会を特徴づけているともいえる。日本人らしいバランスのとり方とも思える。

その江戸時代という「太平の世」を確立するために権謀術数を尽くしたのが徳川家康。この徳川家康を神としてまつる日光東照宮には、数多くの動物の彫刻がある。
「見ざる、聞かざる、言わざる」で有名な三猿の他にも、例えば左甚五郎作の「眠り猫」がある。のんびりと目を閉じる眠り猫は平和のシンボルとする新たな解釈があるという。実は猫の裏側に2羽の雀が彫られてあり、「獲物と天敵の関係であっても仲良く共存できる、そんな理想の国づくりをめざす為政者たれ」というメッセージなのだという説だ。
そして、空想上の生き物「獏」。鉄や銅を食料とし、つまりは平和な時代にしか生存できない、という動物が数多く描かれているという。

「理想の国」となったのかどうかはともかく、260年間の戦争のない世を実現できたことは事実だ。しかし、現代日本にまで続く閉塞した社会、不条理を感じつつも平和であれば良しとするのか、その評価は難しい。

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