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2015年2月16日月曜日

日本にいると、「国」のありがたさがピンとこない

「イスラム国」と称する組織が人質殺害の映像を流し続けており、それに対する報復として空爆が行われるという事態が続いている。この組織が「イスラム」を名乗ることは、もともと弱者への思いやりに満ちた宗教であるイスラム教徒への誤解を招きかねないことだし、「国」と称していることはもちろん認めがたいことだ。
「正式な国家としての承認」が得られていないことは当然のことだが、実はこの「国」としての承認というのが、けっこうあいまいだ。ウィキペディアにも「国家の承認」という項目があるが、確たる承認の条件が決まっているとはいえない(そもそも誰が決められるだろうか)。

世界には武力によってはじまった国が多くあるが、そのはじまりがどうあれ、時間が経てば国の存在が既成事実となってしまう現実がある。その国家に対して国民の支持があるという主張がされれば、「民族自決」という建前が、国際社会に認められることを後押ししてしまう。

こんな仮定は考えたくないが、「イスラム国」が過激な行動を今後少なくし、民衆の支持を得られたとすると、事実上の国家として、「民族自決」の名のもとに国家として成立してしまう、ということもあり得ないことではないだろう。

日本はどうだろうか。日本史には武家政権(言葉を変えれば軍事政権といえるだろう)だった時代がある。源氏が政治の実権を握った鎌倉時代から江戸時代までのことだが、鎌倉幕府の成立は、もともと天皇の統治の上に、武力で成立させた二重統治だったといえる。もしそこで武力に任せて天皇制を滅ぼしてしまっていたら、日本は武力によって建国された多くの国と同じような国の一つになっていただろう。
その後政権を担う幕府は何度も交代し、さらに明治維新、第二次大戦での敗戦を経ても天皇制は存続した。これは稀有なことであって、今の世界でグローバル化を進めて国家という障壁をなくしたいと考えている勢力にとっては、うらやましいことなのかもしれない。

天皇制の存続によって、一つの国家として長く続いた歴史を持っている日本人にとっては、それがいかに稀有なことか、ありがたいことか、なかなか実感できないのかもしれない。私も正直、ピンとこない。

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