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2014年6月24日火曜日

アニミズムと動物供養

狩猟民族であったころの私たちの祖先が狩りにおいて必要以上に殺さない「抑制」に成功し、狩猟対象の動物種を絶滅させなかったことの背景には、「アニミズム」的な発想があり、それは神道の「八百万の神」という観念にも通じると考えられる。動物を征服すべき存在と考えるのではなく、共存すべき「対等」な存在として捉える感覚であり、狩猟は人間対動物のフェアな対決であった。
だからこそ、人間が優位に立つ弓矢等の飛び道具の使用には当初心理的な抵抗を抱いたのではないか、というのが「縄文の神とユダヤの神(佐治芳彦)」の主張である。

ところで、人間が動物に対して飛び道具を使わずに対等に立ち向かうとすると、さまざまな動物と比べて、人間は非力な存在だ。瞬発力に劣る人間は逃げ足の速い動物を捕えることは困難だろうし、反撃されればフィジカル面でみても勝てないのではないか。
そこで考えられるのは、やはり「持久狩猟」だろう。棒や槍程度の武器でもって動物をしとめるには、人間の強みである持久力を使って獲物を追いつめ、力尽きたところで仕留める方法である。以前のエントリーにも書いたとおり、人間は長距離走では動物に勝てるのだ。「Born to Run」にも紹介されているタラウマラ族のハンターが、鹿を素手で仕留めるのを見た、という証言もあるらしい。

動物と対等であるからこそ、日本には「動物供養」という宗教行事が残っている。狩猟や猟などで生命を断たれた鳥獣魚介、あるいは人間の食料として屠殺された家畜のためにその魂を慰める行事である。自然=至善から生命を頂いたことへの感謝を捧げることを、私たちの祖先は大切にしていたのだ。

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