とはいえ、能のことなど知っているわけではない。ほんの少し、Youtubeで見たぐらいだ。ちょっと見たぐらいで何が分かるというわけではないが、非常にミニマルで、抽象的な表現であることは確かだ。ミニマルで抽象的だからなのか、何百年も昔の表現様式であるはずなのに、古さを感じない。「舞い」もそうだし、演奏される音も、余計な情感を含んだ「こぶし」のようなものがないから、時代を超えてしまうのだと思う。そういったところが、強引にこじつけるようだが、1960年代からのモード以降のマイルス・デイヴィスの音楽とも共通するように思うのだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿