日本海の向こうは朝鮮半島、すぐそこに異国がある。その緊張感が近代化への意識につながった。
長州藩の改革派の先駆となった村田清風も海防論者だった。
吉田松陰も巡検したという北長門の海
危機意識の高まりから、恵美須ヶ鼻造船所と同時期につくられた反射炉が近くにある。
実際にスクーナー型帆船の丙辰丸、さらに大型の庚申丸を建造できた造船所のほうとは違い、この反射炉のほうは試験炉だった可能性が高いようだ。
幕府側でも、韮山代官であった英才の江川英龍によって、伊豆の韮山に反射炉が建設されており、こちらのほうは江川英龍の息子の代に完成したという。
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