奇兵隊をはじめとする長州諸隊は、高杉晋作にひきずられるように保守的な藩政府軍との戦いに突入した。両者の本格的な戦いは、大田・絵堂戦役から始まった。
藩政府軍の撰鋒隊は40余名の戦死者を出した。戦の後、諸隊は敵の戦死者の「合葬之墓」を建てたという記録がある。しかし、維新後にまとめられていく歴史の中で「俗論派」は徹底して日陰の存在に追いやられてしまった。現在、諸隊が建てた墓標は見当たらない。現存しているのは、この二基の墓碑のみのようだ。
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