桁外れのアグレッシブさと繊細さが同居し、素人が映像で観てもその走りのすごさが伝わってくる伝説のF-1ドライバー、アイルトン・セナが亡くなったのは1994年の今日。
セナがF1デビューしたのは1984年。今考えてみるとF1の歴史の中で絶妙なタイミングに登場していることが分かる。そのデビューの前年、1983年に大きなレギュレーション変更があった。グランドエフェクトカーの禁止である。
昨日も書いたとおり、グランドエフェクトカーは強力な空力ダウンフォースで路面にはりつき、強力なグリップでコーナーを高速で旋回する。ドライバーの繊細なコントロールよりも、高速でコーナーに飛び込む度胸と体力が要求されるようになっていた。ニキ・ラウダはそれに嫌気がさして一時F-1から引退したぐらいだった(ただし後に復帰した)。言ってみればセナのような才能は活かされない状況だったといえるのではないか。
グランドエフェクトカーが禁止された1983年からは、各チームとも失われたダウンフォースを取り戻すためになりふり構わず巨大なウィングをつけ、それでもコーナーリングスピードは低下し、ドライバーもコントロールに苦労していた。パワーが増大し続けるターボエンジンも、操縦性をいっそうシビアにした。そういうタイミングで、暴れまわるマシンをねじふせる超人的な能力をもってセナは登場したのだ。
その強大なパワーを制御するトラクションコントロールのようなコンピュータ制御はまだ登場していなかった。その後ウィリアムズが開発したアクティブサスを、セナはウィリアムズに移籍しながらも結局使うことができなかったことも、運命のようなものを感じさせる。
さらにもう一つ付け加えるなら、カーボンモノコックシャシーによる安全性の格段な向上があった。その前の時代、つまりアルミモノコックシャシーの時代を知っているアラン・プロストとの安全意識というか、感覚の違いも後に二人の軋轢の一因となった。ともかく、ギリギリ限界まで攻めるセナのドライビングを存分に発揮できる準備ができたタイミングでF-1の世界に登場したのだ。
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