史上最高のF-1ドライバーともいわれるアイルトン・セナが亡くなったのは、25年前の今日だ。
並みのドライバーをはるかに超えた繊細さとアグレッシブさが同居していたアイルトン・セナの場合、戦い続けるためのセルフコントロールは困難を極めたであろうことが想像できる。
むしろ悲しそうな表情をしていることが多かった印象だ。
ポールポジションを獲ること、言い換えると誰よりも速いことにこだわったアイルトン・セナ。ここではあえて、マシンに恵まれなかった時期のポールラップに注目したい。
まずはロータス・ルノー時代
この時期、ライバルよりも安定性を欠いていたルノーのターボエンジン。暴れるマシンをねじ伏せ、ギリギリのバランスを保ちつつマシンの限界の速さを絞り出す様子が映像からも見て取れる。
もう一つはセナ最後の年、1994年。
前年までのウィリアムズ・ルノーは完成度の高いアクティブサスによってサスペンションの動きを油圧で完全にコントロールすることで、天才エイドリアン・ニューウェイのデザインによるエアロダイナミクスを最大限に活かせることにより、ライバルを圧倒する強さを発揮していた。ホンダ撤退後の不振に苦しんでいたセナはこの年ようやくその最強のマシンを手に入れたはずだったが、レギュレーション変更でアクティブサスペンションが禁止されてしまい、走行中の姿勢変化によって空力が大きく変動する、恐ろしくナーバスなマシンになってしまっていた。
そのマシンでセナは、サーキット1周にわたり空力を乱さないために極力姿勢を保ちつつ走るという離れ業で、開幕後3戦連続でポールポジションをとった。これは本当にセナにしかできなかったことと、マシンをデザインしたエイドリアン・ニューウェイも脱帽していたという。
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