日本車がラリーで活躍を見せた嚆矢は、日産ブルーバードのサファリラリーでの活躍だろう。
サファリラリーは、アフリカのケニアを中心に行われたラリー。ラリー・モンテカルロ、RACラリーと共に「世界三大ラリー」と称されていた歴史の長いイベントだ。
灼熱のサバンナの未舗装路を延々と走る過酷なこのサファリラリーに、1963年から挑戦を開始、1966年にクラス優勝、1970年に総合優勝の1位のほか2位4位7位に入り、クラス優勝、チーム優勝とサファリラリー史上初の完全制覇を成し遂げた。
挑戦をはじめた当時は、日本車はまだ国際的な認知度が低く、ドライバーも社員ドライバーという体制だったという。
この日産の挑戦を記録したドキュメンタリーを、小学生の頃に読んだことがある。
栄光のラリー5000キロ―世界一苛酷な自動車競技の優勝記録 (少年少女ドキュメンタリー)
当時の技術では灼熱のサバンナではエンジンの冷却が追いつかず、少しでも冷却を助けるために室内のヒーターをつけっぱなしで灼熱の中を走り続けたエピソード等が印象に残っている。
サファリラリー完全制覇を成し遂げた510ブルーバード。
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