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2023年12月18日月曜日

根無し草の日本人?~故郷喪失者の日本近代/浜崎洋介さんに聞く01

共同体というつながりが弱くなり、個人主義になっていく現代の日本社会を象徴するのがかつてニュータウンと呼ばれて日本各地につくられた人工的な街。

歴史を経て受け継がれてきた共同体、コミュニティの外に出て、個人となったら自由になれるかというと、そうではない。外的自己と、内的自己の葛藤に直面する。




世代的にある程度共通しているものだと思うが、私個人の経験を考えてみると、終戦前後に生まれ、戦後まもなくの時代の教育を受けた両親は、個人主義的な価値観を持っていた。田舎から出てきて就職し、共同体のしがらみから抜け出し、あえて言うならば保守よりは革新寄りの考え方のバイアスを持っていた。

その両親のもとに生まれ、私が育ったのは父親が勤めていた会社の社宅。同じ企業に勤める社員とその家族が暮らす社宅だから、ニュータウンのようなまったくつながりのない赤の他人が暮らす環境に比べれば、少しは連帯感のようなものはあったように思う。

それから、その住んでいた社宅の近くにあった地元の大きな農家と、どういうきっかけなのか分からないが親しくなり、田植えや稲刈り、年末のお餅つき等を、一緒に親しくなった同じ社宅の何軒かの家族と一緒に手伝って、お米を頂いたりしていたことがあった。

また、静岡県の伊豆の農村地域にしばらく住んでいたこともあり、そのときは、農業用の水路や山林等の共同管理、神社の祭典など、地域の共同体のつながり、社会の中で果たしていた役割などをある程度は理解することができた。

支えられている、そして支えあって生きているのが人の自然なすがたであって、そこで引き継がれていくものが文化なのだということを感じることはできたと思う。

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