コリアタイムズ(英語)のウェブサイトで、ソウルに滞在している一人の日本人アーチストの話が紹介されていた。東日本大震災に遭い人生が大きく変転した一人だ。
THE KOREA TIMES : Japanese artist carries on nomad life
"Many friends of mine were killed by the tsunami, and I lost contact with my parents for about 10 hours. With all that happening, it occurred to me that I should do what I always wanted to do,"
「多くの友人を津波で失い、両親とも10時間程も連絡が取れなくなった。あらゆることを乗り越える中で、いつもやりたいと思っていたことをやるべきなのではないか、という想いが起こったのです」
ソーシャルワーカーとしての仕事を辞め、子供の頃からの趣味だったアートに取り組むためソウルに渡った。アートが社会的メッセージをやり取りする手段となることが日本ではほとんどないのに対し、韓国ではより一般的なのだという。
自らの悲しい体験を他者の心情に重ね合わせ、作品にメッセージを込める。
"When my father passed away, I caressed his face with my hand. I was surprised at how similar his face looked to mine," he said. "When the Sewol disaster happened, I thought the parents of the student victims would do the same and feel the same."
「父が亡くなった時、父の顔に触れ、父の顔が自分の顔と同じようなことに驚いた。セウォル号の沈没事故があったとき、犠牲になった生徒達の両親は同じようにして、同じことを感じたに違いないと思った」
時として、「同情心」というか、「寄り添う心」ほど人の心を慰めるものはないのかもしれない。
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