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2015年1月13日火曜日

便利さの代償~コンビニは日本人の弱点なのではないか?

昨日、自動運転車のことに関連して、「危険」があるがゆえに人の能力が高められるという側面がある、ということを書いたが、そういうことを強く感じたのは、以前ブラジルのサンパウロに行く機会があった時のことだ。もう十数年も前のことになるが、仕事の関係で訪れたブラジルのサンパウロは、先進国しか知らなかった当時の私にとっては驚くことが多かった。どこに行っても排気ガス臭いサンパウロの街は車であふれていて、信じられない車間距離、信じられないスピードで行き交う。車だけではない、歩行者もその行き交う車の間を、信号も横断歩道も関係なく横断していく。歩行者の鼻先をかすめるように車が猛スピードで通過していくのだ。おまけに治安だって良くないから、街を歩くのも決して気を抜けないし、運動神経が鈍かったら、ここでは命に関わる。そんなところで暮らしていたら、自然に感覚が鋭くなって、サッカーの強い選手が出たり、アイルトン・セナみたいなF1ドライバーが生まれたのではないか、などと思えた。

かつてサッカーの日本代表チームの監督だったフィリップ・トルシエは、日本人が弱い理由は、コンビニがあることだ、といったという。それは別にコンビニ食が悪いとか、そういう話ではない。コンビニは便利である。お金さえあれば、24時間いつでもたいていのものが買える。コンビニがあるから、いつでもなんでも手に入ると思ってしまう。計画性やハングリー精神もなくなり、危機意識を持てずに育った日本人は、ここぞというときに力を発揮できない、という意味だった。
治安だって、悪くはなってきているが、他の国に比べればはるかに安全だ。要するに、日本で普通に生活していると、生活すること自体に全く緊張感が必要ないのだ。このことは、先進国であっても、例えばヨーロッパに行くと、日本ほど便利で親切な社会ではないことをひしひしと感じる。コンビニはなく、夜や週末は店は閉まってしまう。緊張感とまではいかなくても、計画性と節度感ぐらいは持っておかないと、生活に支障が出る。田舎町であっても、窃盗ぐらいには常に気を付けておかなければいけない。

日本はいつからこんなふうになったのだろうか。日本の美点とされる「おもてなし」も、常日頃からそれに甘やかされて緊張感を欠如させてしまうとしたら、これは国益を損ねてしまうのかもしれない、とさえ思う。これはもしかしたら、日本語が持つ他の言語にはない便利さと同じぐらい(以前のエントリー「活字離れの行く末」)、日本の弱点となり得る日本の「長所」なのかもしれない。

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