日本の歴史の中で武士の成立というものがどういう意味をもっているのか、そういうことを考えながら、ふと書店で目についた、司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズの「嵯峨散歩、仙台・石巻」を買った。司馬遼太郎の本を買うのは久しぶりだ。
私にとって嵯峨は、京都の中でも特に好きな場所なのでついつい手にとってみたのだが、この「嵯峨散歩」編は、はからずも水尾という、清和源氏の祖であった清和天皇が愛し、崩御して後に水尾山陵があるところである。いうまでもなく清和源氏は、武家としてはじめて日本の政権をになった鎌倉幕府をおこした源氏である。物静かで知的な人物であったらしい清和天皇は、わずか31歳で病没した。その清和天皇の子孫が、日本史の中でリアリズムを体現した質実剛健な鎌倉武士につながっていったということ自体、数奇な運命といえる。
そして、嵯峨野を考える時、はずせない存在である秦氏の話。さまざまなところで語られる秦河勝は、この紀行文の中では渡来系の農業勢力の一員である。たとえロマンに満ちた超人的な側面をもった人物であっても、一面では素朴な日常の繰り返しであったりするのが、司馬遼太郎の描き出す人物像の特徴かもしれない。また、そういった人物描写が、私にとって幼少のころから司馬遼太郎に感じていた魅力的な部分だ。
以前も書いたことだが、司馬遼太郎は奇説・珍説のたぐいを取らないという基本があり、そのうえで資料を調べつくし、その人物が身を置いた場所にできる限り自らも足を運び、その人物の姿をイメージできてはじめて書く、という意味のことを読んだことがある。だからその人物像にはリアリティがある。もっとも、司馬遼太郎の最初期の作品についていえば、いかにも小説らしい虚構性、創造性に満ちた作品も多く、それは別の意味で魅力的なのだが。
ともあれ、歴史の年輪が幾重にも重なった京都・嵯峨のエピソードは尽きない。
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