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2014年11月21日金曜日

武士の超人的な力について

武士というものは人知科学では想像もできない力をもっていたのかもしれない、ということに最近興味をもっている。
内田樹は、こちらのページ(世阿弥の身体論)で非常に興味深いことを述べている。


(以下引用)
古代に「海部(あまべ)」「飼部(うまかひべ)」という職能民がいた。「海部」は操船の技術、飼部は騎乗の技術を以て天皇に仕えた。それぞれ「風と水の力」「野生獣の力」という自然エネルギーを人間にとって有用なものに変換する技術に熟達していた人々である。この二つの職能民がヘゲモニーを争って、最終的に「騎馬武者」が「海民」に勝利したのが源平合戦である。
(引用ここまで)


源氏は馬と人馬一体になることによって、平家は風と水の力を制御することによって、人間単体ではできないことをし遂げ、自然力の制御技術の強さと巧みさを競い合ったというのだ。
人間には、人間の力を超えた力を発揮できる領域があるようだ。脳科学者ジル・ボルト・テイラーが体験した、右脳で周りのあらゆるもののエネルギーを受け、一体となる世界、また、ジュリアン・ジェインズがいうバイキャメラル・マインドにも通じるのかもしれない。

ちなみに、源平合戦から時代は下って戦国時代に、その当時の武士達の驚異的な身体能力が、ポルトガル人宣教師フロイスを驚かせたという記録があるという。
武士の伝統食文化 ~ 「大東流霊的食養道」より

さらに時代を下って江戸末期、明治維新の頃にも、粗食であった下級武士が、栄養学的なカロリー計算では考えられない身体能力を発揮したことが西洋人を驚かせたという話もある。

ジュリアン・ジェインズがいう「神の声」がきこえなくなって以来、人類の歴史は頭で考える「主体性」を重ねていった。話は戻るが、源平合戦の後、鎌倉幕府によって始まった武士による統治の世にも、リアリズムの一面があり、怨霊も恐れずに政敵の粛清を重ねて政治を進めたのだから、アンビバレントである。その矛盾が鎌倉仏教の隆盛に向かったり、その後室町期には神霊、死者の霊が主役を演じる能楽、夢幻能が観阿弥・世阿弥によって大成されることにもつながったのではないか。

ともあれ、人知・人力を超えた力を持っていたかもしれない「武士」というものは、明治維新によって姿を消した。その鍛え抜かれた力をもって、名誉を何よりも重んじ、利に転ばず、侮辱に対しては命をかえりみずに立ち向かった。当時の武士が全員そうであったわけではないだろうが、少なくとも武士はそうあるべきだという道徳心、価値観を持った武士という存在は、欧米列強にとっては邪魔な存在だったということなのだろう。

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