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2014年9月16日火曜日

今見えていることの限界

マナつながりで、いろいろ考えてみる。

マナという言葉であらわされる神秘的なもの、摩訶不思議な力の存在に対する感性が、太平洋の島嶼に共通しているというのは非常に興味深い。そのことは、世界中で日本語話者とポリネシア語話者だけが共通して持っている脳の使い方の特殊性とかぶるように思われるからだ。
以前のエントリーに書いたことだが、
左脳が言語脳、右脳がイメージ脳、ということは良く言われることだが、日本人(とポリネシア人)以外の脳は、哲学用語で言うと左脳がロゴス(言葉)、右脳がパトス(言葉ではないもの)と、明確に役割が分かれているのに対して、日本人(とポリネシア人)に限って、左脳がこころがあるもの(ロゴス、パトス、自然)、右脳がこころがない、ただの「もの」(物体)という使い分けになっていて、要は左脳が忙しいことになっている。
これはさまざまな音を聴いたときに、左右どちらの脳が活性化するかという研究から明らかになってきたことだが、例えば虫の鳴き声とか、川のせせらぎのような音は、日本人とポリネシア人以外の場合は右脳で、「こころ」がない、意味のない音として処理されるのに対して、日本人とポリネシア人に限って、左脳で何か意味のある音として感じるという違いがあるのだ。
しかも、人間は初めは皆、日本人とポリネシア人のような脳の使い方をしていたのだが、それがいつの間にか変わってしまい、日本人とポリネシア人だけがその特性を残している、と渡部昇一氏は考えているということだ。

「日本 神々の記憶」(江戸雄介 著)には、太平洋に太古の昔あったとされる「ムー大陸」説について、その実在は科学的に考えにくいとしても、ムー文明圏とでもいうべき、共通性をもった文明圏があるということを指摘している。

例えば「マナ」という共通概念も、この太平洋をとりまく文明圏に存在しているというふうに考えることもできるだろう。

西欧文明、唯物科学中心の文明の中に生きている現在の日本人として、今自分に見えていること、当たり前と思えていることは、物事の一面にしか過ぎないということを感じる。

日本固有の文明といえる「やまとことば」は、ポリネシアと密接につながっている。

漢字文明も、日本を考える上で切り離せない。しかも、西欧文明とは異質なものがある。

イスラムは一番私たちから遠い、なじみの少ない文明かもしれない。

個人的な関心から広げていくと、ジャズの源流をたどると、カリブ海とか、アフリカの文明がみえてきそうだ。

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