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2014年9月14日日曜日

「マナ」~神秘的な力の源

いつもランニングをしている時間帯の、ようやく涼しくなってきた早朝の空気を感じながら、今までの人生のいろんな時期に感じた、早朝の空気のことをとりとめなく思い出しながら走っている。

このあいだ購入したばかりのアディダス・アディゼロ・マナ7で走ると、走りはじめはまだつんのめるような違和感を感じるが、30分程も走っていると不思議とそれが自然になじんできて、前傾姿勢と腰高フォーム(ができている感じ)をキープするのを助けてくれて、走り続けるのを楽にしてくれる。

「マナ」という名称は、聖書に出てくるマンナを連想させる。イスラエルの民がシンの荒野で飢えた時、神がモーゼの祈りに応じて天から降らせたという食物のことである。
ただし、mana だから、聖書に出てくる manna とは別物だろうと思ったのだが、manna を mana と綴ることもあるようだ。

一般的には、マナ(mana)というのは、「太平洋の島嶼で見られる原始的な宗教において、神秘的な力の源とされる概念である」とwikipediaにある。
ついでながら、聖書のマンナも、「これは何だろう」という意味のヘブライ語だというから面白い。

日本を含む太平洋の島嶼、といっても広大な海に点在する島々、ということだから、そこにはるか昔から共通の概念が存在するということ自体に、神秘的なものを感じる。人類の太古の昔から続く移動の歴史は、大地の上ばかりではなく、海を渡っての移動もあったのだ。

人類の歴史は移動の歴史である。ヨーロッパ中心の歴史観からすると、世界の一体化が進む現代へ向かっての大きな転換点は15世紀半ばからの「大航海時代」ということになるわけだが、実際にはそれに先立つ中世は、ユーラシア大陸全体をイスラムや騎馬民族が大移動し、それによって政治と軍事がダイナミックに流動した時代であったし、人類の移動の歴史はさらに古代まで遡ることができる。そのあたりの事情は、「これでいいのか世界史教科書」(著者:謝 世輝)に詳述されている。

走ることも移動手段の一つである。そして人間にとって、走ることは根源的な行動であり、かつて狩猟民族であったころ、十分な道具がまだ発明されていない時代に、長い距離をゆっくり走る能力によって動物を仕留めることができた(以前のエントリー)。それによって人類は、力が強く、短い距離ならば足も速い動物を獲物として、狩猟民族として生き延びることができたのだ。

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