長門市の温泉地、長門湯本にある大寧寺には、西の京とよばれた山口の繁栄を築いた大内氏の16代当主、大内義隆の墓所がある。大内義隆は、家臣の陶晴賢に謀反(大寧寺の変)を起こされここで自害した。
墓所には、義隆主従の墓とともに、大寧寺の変に巻き込まれて殺害された公家の墓もある。写真は撮らなかったが、その数の多さに驚いた。これだけ数多くの公家が山口に来て義隆に付き従っていたということ、そして、武士ではない公家が、変によってこれほど多く殺されていることは、異様なことに思われた。
大寧寺の変についての興味深い新説がある。
【独占取材 in USA】大寧寺の変の新説を語るートーマス・コンラン教授
大内義隆が朝廷に多大な貢献をし、京から下向してきた公家衆が権威を誇り、大内家の元々の家臣達を軽侮していたのだとすれば、変を起こした武断派の公家衆に対する不満と恨みから、これだけ多くの公家が命を奪われたということも理解はできる。
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