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2025年7月26日土曜日

大内氏の最盛期に伊勢神宮から御分霊を勧請した山口大神宮

 大寧寺の変で家臣に謀反を起こされて事実上終焉した大内氏の時代、遷都計画があったにせよ、なかったにせよ、そこまでの力を持つ積み重ねがあったはずだ。

大内義隆の先代、大内義興は足利将軍を助けるため、10年におよぶ長期間、在京した。将軍にとってなくてはならない存在であるのと同時に、朝廷からも重きをおかれるようになった。しかしその間に領国のほうで問題山積となり、自らの領国を守るために帰国した。出雲の尼子氏との全面対決を前にして、高嶺太神宮、現在の山口大神宮を伊勢神宮から勧請した。これは天皇の勅許を得て勧進されたもので、伊勢皇太神宮から直接御分霊を受けて創建されたのは、明治以前では日本で唯一だという。

そして、山口大神宮は当時の伊勢神宮の主要部分をかなり忠実に再現・コピーしたと考えられ、伊勢神宮と同様の20年に一度の式年遷宮も行われていたという。


伊勢神宮同様、内宮と外宮がある。こちらが外宮。



外宮から内宮のほうを見る。



外宮から内宮に向かう。外宮を横から見たところ。


こちらが内宮。













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