母国語で高等教育を受けられること、学問ができることは重要なこと。
この動画の中で興味深かった内容の一つは、近代ヨーロッパの文明も実は同じことをやってスタートしたということだ。昔は難しいラテン語ができなければ、聖書も読めなかったし学問もできなかったのが、ヨーロッパ各国の現地の言葉に翻訳されることによって、ごく一握りの特権階級だけではなく一般庶民が学び、能力を発揮できるようになった。
そして重要なポイントは、そのための翻訳作業は非常に貴重な役割だが、それをみんながやっては仕方がない。つまりグローバル化の名のもとにみんなが英語を使っても仕方がない。その翻訳による利益を多くの日本人が享受して、創造性を発揮することが重要なのだ。
一方で、以前こちらに書いたことと関連するが、
外国語を学ぶ、外国語で学ぶことの意味がなくなるわけではない。
日本語だけである程度までは「世界」のことが分かるような、あるいは「分かった」と思えるような環境ができあがってはいるものの、日本語を通して見ている世界は、勝手な解釈にもとづいた「日本語環境の中の箱庭仮想現実」なのではないか、という不安が常にある。かつて日本に漢字が入ってきたときに、勝手な訓読みで漢字を使いまわしたように。
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