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2024年6月17日月曜日

赤禰武人顕彰之碑(山口県山口市)

さて、京都への捨て身の進発を行った来嶋又兵衛ら長州軍は大敗北を喫し、さらに同時期に、英、米、仏、蘭の4カ国が攻めてくるという長州藩にとっては未曾有の危機に瀕した。藩の実権は保守派であるいわゆる「俗論派」が掌握し、尊王攘夷を旨とするいわゆる「正義派」は弾圧され、奇兵隊をはじめ諸隊も解散を命じられた。
その状況にあって、藩内で対立している場合ではないと、「俗論派」の藩政府との和平交渉を行ったのが赤禰武人だ。


当時の状況を考えれば、赤禰の考え方はむしろ妥当だと思える。仮に自分が同じ立場に置かれたとしても、同じような考えに至ったかもしれない。


赤禰が処刑された場所にある赤禰武人顕彰之碑に行ってみた。


赤禰が処刑された場所にある赤禰武人顕彰之碑に行ってみた。JR山口駅の南側、椹野川の川べりのかなり道幅の狭い道沿いにある。車を駐車する場所がなくて困った。顕彰碑のすぐ脇のわずかなスペースに停めようとすると、近くの作業所らしいところの方から「そこは駐車違反だよ」といわれ、「すぐ出る?ああ、赤禰武人の?じゃあいいよ。」というふうに言ってくれて、少しの間、お参りをさせてもらった。








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