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2013年11月24日日曜日

SWITCHインタビュー達人達 ~ 思想家・内田樹と能楽師・観世清和

結構気に入ってよく見ているNHKEテレの「SWITCHインタビュー達人達」、昨夜は思想家・内田樹と能楽師・観世清和の対談だった。

武道家としても知られる内田樹には、興味がありつつもまだ著作は読んだことがないのだが、非常に頭の切れが良い人のように思われた。武道というものの目標は、「いるべきところにいて、なすべきことをする」ということであり、武道の訓練によって身体ができてくると、生き方が上手になって、生命力が高まる。出世も早くなる、というのは面白い。また、教育者としても言葉も印象的だ。いわく、自分だけにしかできない仕事をしようとしている人の前にしか、「先生」は姿を現さない。教師像には正解がなく、一人ひとりの秘めた潜在能力を目覚めさせるきっかけに、どの先生がなるかは分からない、等。

また、日本の歴史の中世の頃に、今の私達につながる源流があり、それが武芸、能、鎌倉仏教だという。

一方観世清和は、はじめて内田樹と会談した際、「なぜ舞うのか」と問われて、はっと考えさせられ、一つは「人を供養する、鎮魂」、もうひとつは「祝福する」ということだと答えたという。舞い終えると、「なんとなく引き受けてあげた、という想い」になる。それが世阿弥の優しさであり、日本人の優しさなのではないか、という。

南北朝の戦乱の中で、観阿弥・世阿弥父子は生まれ、亡くなった人々のとむらいを願う心が、あの世にいる亡霊が主人公となる複式夢幻能を生んだ。

東日本大震災の後、被災地の海岸で観世清和は「弔いの謡(うたい)」を行ったという。

ここからは私の個人的な考えだが、弔う、祝福する、祈る、といった想いは、脳科学者のジル・ボルト・テイラーが語っている右脳の「エネルギーの世界」に属するものではないか(youtube-ジル・ボルト・テイラー「脳卒中体験を語る」)

また、日本人は、角田忠信によると、脳の使い方が特殊であるらしい。
(以前のエントリー)
この通りだとすると、言語(しかも子音のみ)を左脳で受容し、それ以外のあらゆる音を右脳で処理する日本人以外に対し、言語(母音+子音)のみならず、川のせせらぎ、虫の声までも左脳で受容してしまう日本人は、左脳が忙しく右脳が暇なはずだ。その暇にしている右脳を「祈り」にあてればよいのではないか、と思っている。



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