ジュリアン・ジェインズの「神々の沈黙」の英語の原文が、ネット上でPDFファイルでダウンロードできた。なかなの分量なので、ネット上の情報を見ながら原文を拾い読みするというずるい読み方をしているところ。また、安田登の「あわいの力」もあわせて読みながらいろいろ考えを巡らし、ふっと思いついたことは、日本人がジェインズのいう「意識」を持ったのは、というか、「二分心」を失ったのは、ひょっとすると北条執権の時代からなのではないか、ということだ。
いわゆる鎌倉幕府の武士による統治を完成したのは、鎌倉将軍から北条執権が実権を掌握した時代であり、鎌倉より前の平安時代まで、京都の貴族が政権を担っていた時代は不思議な時代で、軍備や警察を事実上廃止し、その結果治安は悪化した。貴族達は地方の統治等はかえりみず和歌ばかり詠んでいた、というイメージがあるが、実はかつて和歌は単なる教養や風流ではなく、鬼神や天地をも動かす言霊の力であった、という意味のことを渡部昇一が書いている(渡部昇一の「日本語のこころ」)。
ジェインズによれば右脳によって神の声をきいていたであろう太古の時代から、少なくとも平安の頃までは、歌の「言霊」の力によって、鬼神を動かしていたとも言えるのではないか。
源平の争いのころまでは、源義経の「ひよどり越え」など、人知・人力を超えたエピソードが残っているので、まだ「二分心」の片鱗が残っていたのかもしれない。そして、鎌倉幕府の三代将軍源実朝は歌の名手として有名だったが、源氏の将軍は三代で終わりその後は将軍は傀儡となり、北条氏が代々の執権として政治の実権を掌握してからは、現界的な権力闘争、怨霊すら恐れぬ粛清の連続という現実政治の時代になってしまったのだ。
その北条執権の時代から日本人は「二分心」を失い、現代人に近い意識を持ったのではないか、という私の単なる思いつきだけれど、今の現代人の感覚で、鎌倉時代以降のことは何となくイメージできるが、それ以前の時代はどうもイメージしにくい、という感覚もあると思うのだ。
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