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2014年10月13日月曜日

「あわいの力(安田登)」と身体感覚

安田登の「あわいの力」を読んでいて、昔の人間には「心」がなかった、人類が「心」を持ったのは約3000年前だという説が非常に面白いと思っている。だいぶ前からこの本には関心があったのだが、他の著書を読む限り安田氏の文章は分かりやすそうで捉え難いという印象があり、まず書店で実際の文章を見てみたいと思っていた。ようやくその機会があり購入して読んでいるのだが、身体感覚から立ち現れた安田氏の思考は、論理というよりは感覚が先行しているというべきか、やはりスッと分かるようでしっかりとらえるのが難しい。しかしこの本と同様の説については、同じ安田氏の「身体感覚で論語を読みなおす」でも展開されているようなので、そちらも読んでみたいものだ。

安田登氏は能楽師である。能楽の鍛錬には比ぶべくもないが、私も日々走りこんでいると、身体感覚は少し鋭くなってくるのを感じる。また、速聴を続けることによっても、身体感覚のスケール感が変わるのを感じることができる。これは理屈ではちょっと説明しにくい。「心」がなかった時代の人間は、脳で考えるよりも身体感覚に従って生きていたのだという。

ジュリアン・ジェインズという人は「神々の沈黙」という本に、紀元前2000年紀より前は誰もが統合失調症の状態だった、という研究成果が書かれている。そして、意識を持たなかった昔の人類は、何と右脳で神の声をきいていたのだという。この本は相当長そうなので、なかなか購入して読むということに踏み切れないでいるのだが、現代人にとっては当たり前の頭で考えるということを超えたところに、人間のもつ可能性が潜在しているのかもしれない、と思う。

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