歩くことは昔から大好きで、しかもどうせ歩くならチンタラ歩くよりは速く歩く方が楽しい。「歩くこと」と「走ること」には明確な違いがある。「走ること」は跳ぶことで、「歩くこと」は跳ばないで前に進むことだ。跳ぶことは重力に逆らうことだから、エネルギーがいる。走ることに慣れないうちは当然走るよりは歩くほうが楽だ。しかし、走ることに慣れてくると、走るほうがむしろ楽に感じてくる。特に速く歩こうとすると、跳ばずに地面にしがみついていることがかえって「足かせ」になる。
速く歩くことの競争である「競歩」では、「走らない」=「跳ばない」ためのルールに縛られることになる。何をもって「走っていない」とするのか。競歩の反則は二つ。一つめは「両方の足が同時に地面を離れないこと」、二つめは、「着地のときから足が地面に対して垂直になるところまで、ひざが曲がっていないこと」だという。
最近これを意識しながら、競歩の練習まがいのことをやっているのだが、一つめの「両方の足が同時に地面を離れない」のはまあ大丈夫だ。重力に逆らって跳ぶ必要がないのは楽といえば楽だ。二つめのひざを伸ばすことについて、着地の時にひざを伸ばしていることは、これはしっかり意識すればまあ大丈夫だ。でもそのあと足を垂直の位置にまでもってくるときに、どうもひざを曲げてしまう。
競歩の特徴的なフォーム、骨盤をくねらせるような動きは、この「ひざを伸ばしておかなければいけない」というルールのためのようだ。ひざを伸ばしたまま着地点から垂直の位置にもっていけば体が持ち上がる。足を運ぶたびに重心が上下動することになる。上下動してもそれが自然なら別に構わないのでは、とも思ったが、毎回少しずつでも重力に逆らって体を上に持ち上げるためにどこかの筋肉を使うのは、確かにパワーロスになると納得した。だから骨盤を左右に移動させることによって重心の上下動を回避する。
この競歩の動きのために使う筋肉は、走る時に使う筋肉とは違うし、走るための動きよりも自由度が少ないというか、体幹や上半身までうまく使わないと、ルールに従って速く歩くことができない。だから体を大きく使う練習になるし、走りが楽になる。
走るために確実に役に立つのではないかと考えている。
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